アーケードやエレベーターホール以外にも…
◆近代化遺産
高層ビル黎明期であった当時、先進的な新機軸を数多く実践した建築であります。
我が国初の自動制御システムエレベータ、ビル用ゴミ焼却システムを始め、メールシューター、冷水集中供給システムなど、当時最先端の技術と設備を備えていました。特に冷水は、各階エレベーターホールの両脇に備えられ、手を触れなくても飲用できるよう、足踏み式となっていたようです。現在の手洗いに見られるセンサー水栓の原型ともいえるものです。
現存する同時期の建築が、改装などによりその痕跡すら残っていないのに対し、三信では使用停止になっているものの、原型が保たれており建築設備史上においても大変貴重なものといえます。
また、関東大震災の教訓を生かし、強固な基礎構造・耐震構造に加え、オフィス基準階には重要書類を守る、金庫構造の書庫も備えられています。
◆戦争遺産
新築当時にあった、豪華なシャンデリアやエレベータ内のかご、階段等の装飾金物の一部は、戦時中の金属供出により失われてしまいました。その代わりに、元の金物に似せて作った木製のものが取り付けられています。現在まで商業建築として普通に使われていながら、戦争禍を垣間見ることのできる、貴重な建築であり証人といえるでしょう。
◆みんながときめきを持って通り抜けられた空間
現在残っている同種の「近代建築」は、大企業の本社ビルや官公庁舎などです。本社ビルのエントランスには守衛が立ち、内部がいかに美しくても一般市民は入館できません。
しかし三信は、貸室形式のオフィスビルでありながら、設計当初より街行く人々のことも考慮されていました。東西に通り抜けできるアーケードはもちろん、映画街の人の流れを考慮し、中央の5基だけでなく、東側にもエレベータを2基設けたそうです。地下鉄出口が併設された現代では、さらに通り抜ける「公共通路性」が一層高まりました。
同じような性格を持っていたかつての「旧丸ビル」も今は無く、そして大阪の「阪急コンコース」の閉鎖・解体が始まった今、残っているのはここだけといっても過言ではないでしょう。
◆匠の技、モノ作りの原点を今に残す名建築
この建築の最大の魅力は、内外部とも随所に見られる「匠の技」と言えます。アーケードのアーチは言うまでもなく、階段の手すりや天井の廻り縁、外壁の石など、どれも一品物です。現在の建築材料や工業製品では再現できませんし、手作りするにしてもここまで細部を造形できる職人はもういないかもしれないのです。もし解体されてしまったら、たとえレプリカでも細部までは表現できないでしょう。
また、見過ごされがちなものに建築金物があります。ドアノブ、丁番などは真鍮のものが多く、現在は製造されていません。
例えばドアノブは、真鍮の握り玉と四角いプレートがついたものです。今でもレトロ調の類似品はありますが、最大の違いはドア内部に埋め込まれている錠前本体の「箱」です。現在は鋼板をプレスして成形したものですが、三信のものは、鋳造された「鋳物」です。外見は似ていても、中身が違うのです。
つまり、この建築は装飾から小さな部品1つに至るまで、次代に受け継ぐべき価値を有し、近代・現代建築の原点、教師とも言えるものです。
◆失われていく表記がここに
日比谷公園側の入り口扉には、「おすPUSH」「ひくPULL」と記された真鍮製のプレートが付いています。この書体(フォント)は、現在の類似プレートにはないものです。また、東側の貨物エレベータには、地下1階を「B」地下2階を「SB」と表示しています。他のビルでこのような表示のエレベータは皆無な状況です。かつてのトイレにあった「あき」「使用中」の表示は、知らないうちに消え去ってしまいましたが、これらの表記も、ここが失われたらやがて人々の記憶からも消え去ってしまうかもしれません。
(以下編集中 2006.09.07)