パソコン歌集 「早渕川」 第二集 嶋 武志
Last Update 2010/10/8
平成21年の作品集
平成21年(2009)1月より 平成21年 12月まで
今回は新しい試みとして、「創作」同人の歌評も併記してみました。
迦 陵 頻 伽 (幻の鳥)
弟は正月待てずみまかりて吾は熱無き風邪をなが病む
枯れがれしものばかりなる山原を山頭火ゆき吾も憑きゆく
作者は流浪の俳人山頭火にひかれるものがあるのであろう
心に残る一首。(同人評)
この日記今に売れると啄木も山頭火も書けり臆面もなく
双眼鏡胸に枯れ木の山を行くカリョウビンガの現れむかも
目黒より浅草見物小半日一円タクシ−の時代もありき
白 笹 稲 荷
熱の無き風邪ながく病み正月は外出かなわず食もほそりぬ
老いらくの離婚をはかり居るやともひと夜ひそかに妻を疑う
日頃山歩きなどされて、お元気だった作者が風邪を引き、食欲もなくされ、
気弱になった末・・?「老いらくの・・」と来たのでしょうか。ユ−モアを
含ませた詠み方、いつも乍ら感心いたしました。
初午の白笹稲荷今年また露店多きに誘われて来ぬ
焼鳥の串を片手にコップ酒初午祭りの屋台うれしも
湧きやまぬ秦野銘水もろの掌にその真実をふふみ味はふ
ト ン カ ツ
放埒に生くる楽しみ老いにあり今日は梅見て日帰り温泉
里山に涌井あふれてきらきらし光の春はせせらぎやまず
折ふしの小さき思ひをつもらせて嵩む齢に梅のほころぶ
トンカツの厚さは七ミリ程がよし食通の作家と意見一致す
歌舞伎座うら砂場の蕎麦と銚子屋のコロッケ古き味を忘れず
古き思い出に残る味は、誰しも持ち合せて居るものであるが、東銀座の歌舞
伎座うらとある。表通りよりうら通りにこのような店が繁盛した。
笹 ぶ ね
里山の小さき流れのせせらぎに笹舟浮かべ老いひとりいる
里山に春はきざせり小流れを老いの笹舟ゆっくりとゆく
里山の池にカメラを向け立ててかわせみを待つ人ら静けし
恋猫のこえ遠のきて公園は胡散くさげな朧夜となる
これぞ“嶋短歌”の真骨頂。ユ−モアをも効かせつつ、独特のふんいきの
秀歌を紡ぎ出した。「胡散くさい」は「様子が、どことなく怪しくて油断
出来ない」の意。主に人のふるまいについて言うが、あえて朧夜に掛けて、
作者の位置のあいまいさを逆に活かした。
指先はしなやかにかつ気を込めて老いの太極拳すこし汗ばむ
老 人 と 櫻
歳とりていよよ櫻が好きになる墨堤のさくら上野のさくら
残るいのち一寸刻みの老いなれば舞う花吹雪みそぎのごとし
靖国の櫻は兵を鼓舞したり花吹雪ただに美しと見ず
よくもまあ世界相手に戦せし仰ぎみて思う九段のさくら
ふるさとの碑文谷八幡の花に酔い目黒不動のうなぎやに寄る
岡 龍 城 逝 く
葉ざくらとなりし並木の道をゆきわれに無かりし青春を恋う
竹やぶにつぶてを投げて若竹の気味よく返す音にきき入る
恐おもて近づき難きを岡龍城に言いしことあり臆面もなく
先生に親しくお会いいたことのない私には何とも心惹かれる一言である。
一体何と言はれたのか、興味をそそられる。
「創作」の選者に君はふさわしと岡先生吾をかいかぶられにき
歌の中で母を死なしめし寺山修司とがらす口を吾はゆるさず
ほ た る
横浜の里山に舞うほたる見に妻と小暗き野の道をゆく
沢べりに点るを見染め垂直に落ちゆきて消ゆ恋のほたる灯
かきたつるものなき老いの目に灯るいのち短きほたるの乱舞
沢音の寂けき闇に舞うほたる恋をささやく灯のかそかなり
沢べりにひそむあり木に灯るあり舞える蛍火筋ひきて消ゆ
蛍をテ−マの連作、どのお歌も命をいつくしむ思いが込められ、
丁寧に生きていないと詠めない歌と思いました・
缶 ビ − ル
ひとところ巡るのみにて沢水の流れにのらぬ老いの笹舟
作者の散歩あるいは小旅行の途次での実景かもしれない。
むしろその様に観賞するのが一般的かと思う。しかし下句の
表現には深い意味が暗示されているように思えて来るのである。
なかなか進まない笹舟にもどかしい思いを抱いて、来し方にも
思いを馳せたのかも知れない。
前の人の釣り銭が出て缶ビ−ルただ頂けるとは有り難し
鴎外の「雁」に出てくる池之端蓮玉庵の蕎麦喰いに行く
下足札打ち鳴らし客を案内する浅草今半の牛鍋に酔う
ホ−ムペ−ジのハングル訳あり韓国の人も我が歌読みくるるらし
ど ぢ や う
もぎたての梨むくほどに滴れり甘露は老いの身に沁みとおる
我が主義に叶うと思ういい加減に生きよと書けるこの新刊署
几帳面に生きた作者が少々あこがれを抱き手にした新刊書では
なかろうか。ボランティアで道路清掃をしたり老人ホ−ムで
読書活動したり頑張つた作者。牧水の朗詠がとてもなつかしい。
今の処好きに暮らしているけれどどんでん返しに逢うやもしれず
歳につれ自づふくらむ自己主張立ち話さらにやむこともなし
本店とは味少し違うどぜう鍋近ければ渋谷の「駒形」に行く
姿 三四郎
姿三四郎試合せしとう碑のありて峰の薬師に秋風のたつ
姿三四郎は小説のひと碑のめぐりもつともらしく秋草しげる
実在せぬ小説やテレビの主人公の碑を巡り、恰も存在した様に
秋草も茂っているという。その視点が面白く巧い。
藤田進の名演いまも目に浮かぶモノクロ映画の姿三四郎
津久井湖を望む薬師の峰下りて喜志子先生の歌碑にまみえむ
何となく生命ちぢまる思いして身辺整理またやめにする
名優逝く
森繁のテビエと共に諸手あげ踊りき三十分のカ−テンコ−ル
永井荷風の愛人とあそぶエロ噺森繁の随筆を音訳したりき
FMの洋楽に続く「音の風景」今日はギッチラコ矢切の渡し
えのころ草に四種類ありとりわけて黄金えのころの穂波優しも
やわらかきものに触れたく仰向けにねそべる犬の腹なでてやる
佐渡島他吉の生涯
諏訪大社の御柱あおぎ野を辿り万治の石仏の土俗さに和む
諏訪のまち今井邦子の記念館に喜志子師を識る人と逢いにき
森繁の他吉の名舞台入り悪く三階より一等に席移し呉れにき
森繁の舞台よく観き「ベンゲットの他やん」「テビエ」瞼に熱し
三渓園に名残の紅葉見し夜の夢はからくれないに染まりき
早渕川(第二集)を終わります。
<(旧作 より) 昭和56年発刊>
合同歌集 「現代短歌書紀」 文芸出版社刊 30首
四畳半の一隅くらく老眼鏡鈍く光りて父の椅子あり
養老の杖を土産に選びおりよろぼう父の姿勢になりて
椅子に凭(よ)りて父の居眠る昼下がりつけ放しのテレビ愛を囁く
仰向きて椅子に動かずいる父を胸さわぎしつつ見守(まも)るひととき
老父母のつましく住める厨より夕餉の魚の焼くる匂いす
吾が好み心得し妻の味に慣れ母の料理を辛しと思う
父母のひとりとならむ日を思い陽当たりのよき部屋を建て増す
隠居所に建てたる部屋の京壁の乾きそめし日父は逝きたり
父の喪を過ぎて己れにたちかえりいたわり抱く妻のぬくもり
眠れざる妻との対話闇に沁む独りとなりし老い母のこと
かたくなな兄の心を解くすべに心ならずも母をそしりぬ
霧吹いてまた吊しおく螢かごちさき光をひとつ残せり
故しれず沈める妻の拒む夜は灯りになかば布かけて読む
銭金にこだわる我を疎みいし妻もようやく欲もちはじむ
買い物の途中うけたる注文を妻は寝際におづおづと告ぐ
よそゆきの声に商い家にいてつかう言葉のぶつきらぼうなる
飯どきの客にあわてて飲み込みし魚の小骨の咽にひりつく
米売れて忙しき日よりぽつねんと客を待つ日のいたく疲るる
泣きながら若い女が走り過ぎわれはふたたび店先を掃く
昔から米屋は地味に貯めこむと老いし税吏は眼鏡光らす
作業帽あみだに被り汗あえし額に風をうけて働く
漫才師の隣家に米を担ぎきて 稽古のこえを塀ごしに聴く
一どきに二つの事は出来ないと厨より妻の声はね返る
昭和一桁は遊びを知らずひたすらに働くのみとの苦き記事詠む
新しき世代をきざむリズム激し子の口笛を真似ておよばず
女友達に電話する子の声ひくくさよならも告げず切りてしまえり
銀行に待てるひととき幼児の絵本をひらく象の眼やさし
右肩に重荷を担ぐ日々に馴れ傾きがちの姿勢を正す
平心を吾は保たむ分銅の揺れ鎮めつつ白米計る
商売に終えむ一生(ひとよ)か眼に沁みて精米機より糠匂いたつ
鏡見て独り笑えばおかしくなり再び笑うさびしき笑い
以上終わり
<補遺 (昭和40年頃の作品) 33首>
吾ながら卑しと思う笑顔なり鏡はなれて後もこだわる
十数えるまでにと子らに号令し客間の玩具片づけさせぬ
おのおのの影長く引き学童ら夕日に向かう道を歩めり
集金に来し家今日も留守なれば軒に眠れる猫を脅かす
陽に向きて眼閉ざせば紅の炎のなかに入りゆくごとし
陽に向きて閉ざしいし眼開きたるたまゆら視界むらさきに染む
熱病む子ベッド軋ませ涙して母よべど吾を呼びしことなき
三平と善太の童話寝る前の吾子に読むこと仕事のひとつ
湯気に曇る風呂場の玻璃に名前かく入学近き子の小さき指
妻ときて猪鍋の酒に酔い夜更けの宿にせせらぎを聴く
米担ぎベル押す吾の影うつる夕日に染みしアパートの壁
婦人服売り場の隅に所在なく子の手を引きて妻を待ちをり
吾が店の古き構えを威圧して鉄筋の店舗次々と建つ
古井戸の蓋に居る猫を撫でて過ぐ米担ぎ来し路地の夕暮れ
外出にはあらねどたまに和服着て装える妻に子等のまつわる
世界一のろくとも絶対安全な飛行機作れと漫才語る
幼子は瞬きもせず見つめおりバスの中にて手話交わす唖者を
散髪を済ましし日のみ逞しく見ゆと妻言い頬笑みかけぬ
口付きの煙草逆さに火をつけて気づかずおりぬ弾む話に
発育を考慮して買いしゆるゆるの運動靴に子らのとまどう
くどくどと叱る吾が癖知れる子を睨みつづけしが共に笑いき
妻のみをいとしみてきし男ひとり夕庭に屈み白き花見る
これだけは伐らずに孫に残したしと柿の若葉を仰ぎ見る母
拾われし少女の赤きベレー帽花見のひとに高く振られぬ
日に十円の小遣いを子は貯めおきて遂に文鳥の雛を買いたり
自らの行動をしるす粘液を葉に光らせて蝸牛は這えり
波の秀のくづるとみるや忽ちに一斉の響きとなりてとどろく
盛り上がりとどろと寄せて引く波の砂に吸わるる妙なる調べ
アパートは炎暑の真昼嬰児に行水つかう湯の匂いする
マルキシズムにただ憧れて購いし資本論書架より失せて久しき
大金を得てより不幸になる話吾にはかかわり無しと聞きをり
筋の通らぬ金ゆえ突きかえさるるものと思いいたりし金が戻らず
空になりしビールの瓶に口をあて吹きし音色ぞ身にしみとおる
以上 終わり