パソコン歌集 「早渕川」 第三集 嶋 武志
Last Update 2011/9/3
パソコン歌集 「早渕川 」 第三集
(新かな表記)
平成22年(2010)1月 より 12月まで
寅 歳
寅さんに似たる男のあとをつけ帝釈天に初詣する
松竹蒲田の寅さん撮影の現場にて大原麗子にサインもらいき
初恋の君の面影このごろは大原麗子のかおににてきぬ
こののちの思いつぎつぎ圧しきたる不安紛らせ深夜便きく
深夜便にて小林旭のうたを聴く思い出多きマイトガイの声
ろ う ば い
蝋梅の咲きつづくみち香りたち初午の太鼓ちかくきこゆる
蝋梅のあわく陽に透く花びらにひびかうもののあるを思えり
蝋梅の花にル−ペをあてて見つ黄金の蘂は蜜にうるおう
秦野にて生ピ−ナツを選び買う手煎りする豆はこよなく旨し
うつむきて歩むほか無き戦時下の吾なりき今もその癖やまず
き さ ら ぎ
蝋梅の花を見に来し里のみち如月ながら陽のあたたかき
同人評:蝋梅の香る頃の陽は誠に暖かい。この一首「里のみち」が生きる
春早く咲く花うれし里山のウグイスカグラ紅あわきいろ
鶯が神楽を舞うという花に二ン月の雪あわく降りつむ
いくそたび生命ちぢまる思いせし八十余年おろそかならず
脚早く行き過ぎし妻を街角に戻るまでま待ついたしかたなく
長瀞と川越
櫻見に長瀞駅に下り立てばときならぬ雪霏霏と降りくる
長瀞の蕎麦屋に妻と川下りをあきらめて春の雪止むを待つ
宿の料理旨きに酔いてカラオケを肩いだき誘う老いとよろめく
観光地図妻に持たせて川越の時の鐘まで迷いつつ来ぬ
菓子や横丁の道聞きに寄りし屋台会館小江戸の粋を肌に感ずる
朧 夜
みほとけを拝むは死者を祈ることさくら散り舞う大寺の苑
山に登る路たがえしか花匂うミカン畑のなかを下れり
はやされて「島の娘」を早口に唄いし坊やも八十余歳
道ならぬ恋などときにして見たし熱きドラマに老いのときめく
同人評:一首目、仏像を拝むことは成仏した祖先を拝むことであるのだろう。
納得させられる。四首目はなかなか味わいのある歌である。
様々な生き方を見て来られた年齢になってくると浮かぶ感慨かも知れない。
調べも整っていてよい。
静かなる憂いたたせて公園に迫る朧夜花の香のする
お か げ さ ん
声ふとく牛蛙啼き里山にのこる棚田のみどり目に沁む
自づから後ろ手くみて歩みおりいかにも歳をとりたるものか
「お蔭さん」ひさしぶり聞く言葉にて何となく心ほのぼのとなる
年金記録確認の通知届きたり良くも働きし五百七月
棚 田
藁屋根の上にアヤメの花咲ける民家の縁に風をたのしむ
里山の林をいでてめくるめく一面白きヒメジオンの原
里山の棚田をわたる風にのり滞空する銀ヤンマ羽のきらめく
朗読の会に招きて語りあいし須磨佳津江さんの深夜便聴く
オジイチヤン毎日日曜で良いわネエ孫の女子高テストのつづく
老いの歌詠むなと若き友言えり肯いつつも何かわびしき
同人評:老いても老いの主張があります。わびしきなどと思わず若者には
判らない老いの心境を前向きに詠んで下さい。
炎 暑
老い妻と話もなくて署をこもる言いようも無きこの淋しさは
ク−ラ−を強くきかせて本を読む妻のかたえに昼寝すわれは
パソコンの入力指先一本に頼る老いなり急ぐことなし
田部井さんと共に登りし安達太良山大雪渓を口に含みき
同人評:この歌は何年か前の作であろうと思います。田部井さんも古希を過ぎられ、
今なお元気に山歩きをされて居ます。
足 柄 古 道
あえぎつつ旧道辿り足柄の峠に見たり雪のこる富士
足柄の街道いまは里山の散策路なり山藤の咲く
里山のひろき草原いきれつつさみどり色にかげろうのたつ
里山の沢の笹むらさわだててけものの如く風の吹き過ぐ
同人評:里山の沢の静けさを破つて風が吹き抜けたのでしょう。「けものの如く風の
吹き過ぐ」は一瞬の驚きでしたね。
足柄の古道に小さき祠あり行き倒れし京の姫をまつれり
まつられし鄙のみ堂は姫の名をあわれとどめて雁金という
朝顔の色とりどりの花のなか凛として目立つ大輪の白
や ぐ ら
谷戸ふかくお塔やぐらにつづくみち丸太二本の橋を渡せり
焼き討ちの寺を逃れて比企の士の腹を切りたる矢倉かあわれ
どことなく勘ぐり深き癖ありて友のいずれともつきあい浅き
里山の棚田の案山子舌あかき一つ目小僧風にぶらぶら
ヘクソカズラでは可哀想ヤイトバナもつと良き名は早乙女花か
刑 事
里山の古き藁家の枝折戸のわきにひと叢トリカブト咲く
里山はほのむらさきに暮れそめて独りごころをゆする薄穂
浅間山荘の赤軍説得に行かむとせし僧侶と吾は良き友なりし
赤軍のシンパと吾を疑いし刑事と後に親しくなりぬ
裏妙義鍵沢の洞窟に籠もりたる赤軍派総括の死は哀れなり
骨董に目のなき刑事上がり込み自慢の品に話しのつきず
ばちさばき
歯磨きのチュ−ブ最後のひと絞りかくして老いのたつき始まる
同人評:私にも思い当たり、同じような事をして居ますので、共感がもてました。
大坂泰に案内されて啄木の住みし「喜の床」の二階見上げき
弓偏にはいくさの漢字多きなか弦の一文字ひびき妙なり
荒海に向きてこころを音にせる津軽三味線ばちさばきよし
竹山を聴きし渋谷のジャンジャンも今は無くすべて遠きまぼろし
<早淵川 第三集 終わり>
昭和四十八年発行 創作社 合同歌集
(旧かな表記)
「 流 る る 水 」
つつましき生活に吾は護りゆく老いたる母をふるさととして
(たつき)
父の忌は目黒不動のご縁日夜店とともに子らの忘れず
米担ぎベル押す吾の影うつる夕陽に染みしアパ−トの壁
商売に賭けたる夢の醒めしころ客におもねる術を覚えき
吾ながら卑しと思ふ笑顔なり鏡はなれてのちもこだはる
寝て読むに足の親指すり合はすこの程度の癖は妻に許さる
危ふかるひと言濁し何くはぬ顔つくるべく口をとがらす
筋道を立てくる妻に抗へずよきにはからへとおし黙るなり
うちとけぬまま客の去り残る蕎麦妻と啜れば箸にまつはる
中年のあつかましさも少しづつ身につき腹のますます太る
夕焼けのひろごる空を仰ぎ見るもろ手は子らの肩を抱けり
時により口つぐまねば生きられず野仏は知らぬ顔してござる
<終わり>
昭和五十五年発行 創作社 合同歌集
「 朝 雲 夕 雲 」
病む母につき添ふ妻がさむざむと夜半をすすぎの水流す音
よき世話をいまはの母に拝まれし妻の嘆きのひとかたならず
病院の庭に咲きたる沈丁花母のよみじの闇より匂ふ
近くまで配達にきて母の逝きし病院に今日もよりさふになる
鯛焼きの尻尾の餡は少なくてかたく香ばしきがわが口に合ふ
須らく真面目にやれと言ふ声すまじめにならば淋しからむを
山の神と彫り薄れたるまんまるき石に腰掛け妻の気づかず
野仏の顔のかはりにのせてあるのつぺらぼうの石がほほゑむ
時々は同じ考へ持つやふになり来し妻と店にはたらく
おいおいと呼び捨てにされ黙々と従ふ妻をふとも怖るる
夢ならぬ小さき幸せまもりあふそびらに淡し妻のつめあと
何となくこそばゆくして愛するのひとこと妻に告げしことなき
どの辺りより間違えし道かとも沈丁にほふ坂にたたずむ
美しき思い出のみをのこすべし梅すぎて櫻の蕾ふくらむ
沢べりの石にやすらふ妻とわれ二人静もかたはらに咲く
<終わり>