戦中・戦後の歌
Update 2010/10/9


<戦中・戦後期の作品>

昭和17年(1942)頃より中学で波多郁太郎先生に(折口信夫の高弟)短歌を学ぶ。
友人とガリ版の校内誌「篝火」を発行短歌を載せる。


  次々と敵の戦艦沈みゆくを父母はただによろこびたもう

  大いなる荷を引き来たる馬の背にはげしき日光(ひかげ)照りつけにけり

  大東亜共栄圏建設の礎はしるけくも見ゆかかる戦果に

  五月雨に濡れたる銃(つつ)のいとおしさしかと握りて征き行きにけり

  思い切り叫べばこころ朗らなり望みことごと叶いゆくごとし

  洗心雑話邪宗門花樫雲母集ふみくさぐさにきみを偲びぬ 〔白秋の死)

  小田急電鉄片瀬江ノ島の駅に降りてためらいながら空を見るかも

  雨あしはややに晴れたり洗心亭龍口寺あたりがけぶりつつ見ゆ



<終戦後の作品>

住友通信工業(現在NEC)に勤務のころ、覇王樹系中井コッフ(愛媛県 医師 歌人 書画)らの
結社「石蕗」に作品を発表していた。


  いささかのことにあららぐ兄の声耳につく夜は早く眠りぬ

  共産党員の手渡すビラに見入りつつこの朝も闘争の心燃え立つ

  馘首旋風ひと事にあらず退職金の計算をして息つくわれは

  給料は遅払いなれば家にいてたまの休みを読書にすごす

  給料の安きを言うもすべなきに奴隷の如く吾ははたらく


  みたけの裏参道は霧ふかし下りつつひとりものを思えり

  山くえ(崩れ)の霧坂道を下るときものの音して鳥たちにけり

  山くずれの跡いちじろき霧の路ひたすら下る瀬音ききつつ

  霧ふかき峠となりぬ憩いつつ煙草を吸えばわずらいもなし

  霧の流れ目にしむごとし登りきて茅とあかるき尾根となりたり


  霧ごもる山深くきてたまさかに啼きたつ鳥の声をききたり

  しみじみと夕日を浴みて帰る道はろけきものを追うこころあり

  北九州を襲いし台風内海に総工費三千万の船を葬りぬ

  首切り反対給料よこせと大書せる張り紙は壁を埋めつくしぬ

  インターナショナル若き女の声に和し罵声も湧きぬ所長室の前


レッドパージに遭い職場の先輩「コスモス」の葛原繁と共にクビになり(彼は労働組合の闘士であった)、
私は日本鋼管に転職した。



  二百二十日嵐の夜半に就職の是非を思いてついに眠れず

  右するも左に行くも結局は未だ若しとたのむ思いあり

  就職の打ち合わせにきて頂きし西瓜の味の咽をうるおす

  寺庭の草生にあそぶ子らの声きこえずなりて夕づきにけり

  シグナルは赤にかわれり乗り遅れし電車の明かり闇にきえゆく


  騒音と熱気の迫る炉前作業裸身を照らす千三百度の炉光

  建ち並ぶ平炉の前を通るとき癖の如くに煙草を吸いぬ

  ストーブを囲み堕ちる話しに興じつつ同調しえぬ吾を意識す

  金と命のこうかん会社ノロ取りの辛き作業にまた死者の出づ
   (ノロは鉱砕)

  労働基準監督署に出す報告書不注意とは書けぬ死亡のいきさつ


  自殺とも思えるふしも見受けられ報告に困るノロ壺の転落死

  刹那せつなを生きるほか無しと肯いてそのつかの間のみ悲しさ忘る

  歳せまる街の気配にひたりつつ地下足袋のわれも店を覗きぬ



昭和二十九年葛原繁氏の紹介で 「コスモス」に入会、宮修二先生の選をうける。
このころ米穀小売商を営む。



  胸病む子を自業自得と言い捨てて麦を購い帰るその母

  オーバーのかくしに残るいささかの小銭ふれあうかそかなる音

  育雛箱の消毒終えて一羽一羽雛うつす手に雛の温もり

  換羽して見る見る太りゆく雛を水かえてやり二三羽いだく

  店さきを斜めにひくく飛びすがうツバメは雨に濡れて光れり


  仏壇に母が置きたる見合い写真誰もいぬ時来ては吾が見つ

  見合いすべき写真見ており滑稽な感傷が吾をくすぐりてすぐ

  三つ星を尋(と)めて仰げば冬空に白く流れて雲はただよう

  妻となるひとと手をくみ街灯の小暗らき下に口づけをせり

  冬空に星は満ちつつあいよりて暗き道行く歩みひそかに


  老いすさびし母の手に揉む茶の香り部屋にこもりて外は雨なる

  机の上に白くほこりの溜まれるをものぐさくいぬ昼ちかきまで

  道を問いて往きにし女(ひと)のたち戻り干し蕎麦を一把購いゆけり

  梅雨曇る空早く暮れ竹垣の根かたに白しどくだみの花

  未だ若しとたのむ思いにうかうかと過ぎてわが歳三十に近き


  山行のコースを変えて辿る沢の滾つ瀬音に心なごみぬ

  大き岩めぐりて細き流れなり青々と深き淵に続けり

  河原の暑き日中の路をきて足音に走る蛇におどろく

  夜汽車降り冷えきびしきにセーターの用意なき妹を母ときづかう

  山鳥の声も聞こえず滾つ瀬のひびき満つまま明けはなれたり


  庭の菊さかり過ぎたり朝あさに冬の近づくけはいたしかに

  歌集ひとつ購わむとし外套に手を入れしまま硬貨をかぞう

  手をのべて這いよる吾子の眼差しのわれにいささか似たるを思う

この歌は目黒短歌会で互選一位になったが宮先生に酷評される。商売が忙しく なり作歌を中断、
その後は木俣修選の読売歌壇に 投稿したりする。



  大掃除終わりしあとは溝に沿いまっ白に防虫の粉まかれたり

  駐車違反の札貼られたる乗用車の下にながながと猫が寝ている

  道に逢う女の人のことごとく美しく見えて正月はよき

  過去にめげず挫けずつよく生き行けと弟に告げて部屋を出でたり

  客くれば忙しくたちて夕飯の菜を噛みつつ吾は商う


  老いづきし母にむかいて荒き言いいすてしのち迫る淋しさ

  吾があゆむ靴音のみが霧の夜のぬれし舗道に低くひびかう

  商売を継ぎてやすけく定まりし生活(なりわい)なれど時に空しき



昭和三十九年若山牧水の妻・喜志子先生に手紙を出して「創作」に入会、先生の添削をうける。
これ以後の短歌は「作品集」の欄に縦書きで記載して在ります。